魚売り七右衛門、まぐろを持ってくる

ごく上天気.塩イナダ二本、酒札一枚、御蔵の小使い善蔵に遣わす.薪を束ねて二階へ上げる.魚売りの七右衛門がマグロを売りに来ると、鐐之助が“買ってくれ、買ってくれ、刺身にしてくれ”とうるさい.百文に九十匁だという.百七十匁を置いていく.

 すぐに“大根おろしで刺身を食べよう、昼飯にしょう”といい出し、二切れ食べ“うまくてたまらない”という.“まだ、昼飯には間があるから”と待たせた.

 稲塚藤左衛門方の五歳の娘、重い疱瘡にかかり昨夜死去したとの知らせが来た.四郎兵衛が隣りの郡へ来たといい、ちょっと寄って帰った.須藤のおすえ、新地へ行くついでに年始の挨拶に寄り、鐐之助にミカンを持ってきてくれる.

 鐐之助、刺身にて昼飯二膳を食べる.それから月代を剃ってやり、五蔵に髪を結ってもらう.珍しく暖かい日なので、みな出かけたがる.留守に片山のおばばさまがお出でになると困るので、明日お出で下さるよう、私から出かけて頼みに行った.片山ではまあさ?が来るかも知れないとおすずが門のそばに立って待っていたところ、わしが行ったので、“まあさ?は来ないでおじいさんが来た!”といい合ったそうだ.その帰りに、稲塚へ悔やみに寄った.

 おばばが二階の障子を開け外を見ながら髪を結っていたところ、御書院格の二男、三男が、愛宕山の梅林見物に行くのか、何組も通ったそうじゃ.

 新地から迎えが来て、おばばが出かけたのが四時過ぎじゃった.留守番を武八、五蔵、留五郎、平治、官蔵らに頼む.とろろ汁を作り、夕飯を食べてくれるよう頼み、わしは五時過ぎに家を出た.

 客は、木村、金山、細谷、関根又四郎夫婦、山岡の家は家族全員、わしの家も残らずだ.おせん、林平、杉立親子、片桐のおてつ、黒岡茂八の後家、高木母子三人などだ.大した御馳走はないが大勢の客で、座敷が狭く大混雑だった.

 七時過ぎにおばばより先に帰ってきた.間もなく、おせんとおばばも帰ってきた.祝いの席で鐐之助が目を覚まし、家へ帰りたいとダダをこね、今までにない大騒ぎだったそうじゃ.
 
 松田竹蔵、河合一平も遅くなってやって来て、踊るやら跳ねるやら大騒ぎをしたそうじゃ.おなかは十一時過ぎ、又四郎に送ってもらい帰って来た.十時頃から雨が降り出した.

            (天保十四年 一月十日 「桑名日記」)

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